白井市と印西市 合併中止の訳


Q 白井市と印西市の合併話しは、なぜ中止になったのでしょう。

A 白井市民が反対したためです。

2004年、印西市・白井市・本埜村・印旛村の2市2村の合併話が審議されました。

ですが白井市だけ住民の同意が得られず住民投票が行われ、あえなく否決されました。

理由としては

当時の印西・本埜・印旛の財政不安

都内勤務者が多い「千葉都民」意識

が挙げられます。
白井は古い街なので住民の幅が広くいろんな意見やシガラミがありそうです。

以下wikiより

北総市

千葉県印西市、白井市、印旛郡本埜村、印旛村の2市2村の市町村合併によって誕生する予定だった市の名称。

地理

印西市、白井市、印旛郡本埜村、印旛村は全てが印旛郡市に属し、北総鉄道北総線沿線に位置している。また、2市2村は千葉ニュータウン地域に含まれる。東側は同じく印旛郡市である成田市、西側は旧東葛飾郡である鎌ケ谷市、我孫子市、柏市、南側は旧千葉郡である船橋市豊富地域、八千代市、北側は印旛郡栄町、茨城県北相馬郡利根町となる。

市内には利根川が流れ、印旛沼があるほか、印旛沼水系の長門川・将監川などの河川、手賀沼水系の下手賀沼や手賀川、亀成川などがある。2市2村の総面積は159,21km2である。

沿革

白井市は沼南町(現柏市)、鎌ケ谷市といった東葛地域、船橋市といった葛南地域(東葛地域を2分割した場合の湾岸地区の名称)と接しており、東京都方面との関わりも深い一方で、昔から印旛地域内での関わりも深く、特に市の西部と東部の間で意見が食い違うこともあった。また印西市も西部は我孫子市や旧沼南町、北部は茨城県北相馬郡利根町と接し、東葛地域や茨城県、東京都などとも一定の関係がある。特に我孫子市とは東日本旅客鉄道(JR東日本)成田線や国道356号で繋がり、関わりが深い。

2003年4月1日、「印西市・白井市・印旛村・本埜村合併協議会」が設置され、2市2村での合併が公式に提案された。その際、その新名称として2市2村で公募が行われ、539の名称候補が集まった。その後協議会により投票が行われ、そこで得票数が最多だった北総市が、2004年4月14日の合併協議会において新市の名称(予定)として決定された。

しかしその後、7月11日に白井市で行われた住民投票で、賛成が6,762、反対が19,245と、反対多数となった。これにより合併は白紙となり、同年8月31日、合併協議会は廃止された。

その後

白井市が離脱して廃止された合併だが、その後残る1市2村は話し合いを続け、2008年10月24日、「印西市・印旛村・本埜村合併問題懇談会」が設立。そして2009年1月9日には「印西市・印旛村・本埜村合併協議会」が設置され、合併の期日は2010年3月23日とし、新市の名称は「印西市」の予定である。また、白井市は当面単独市政を行うことを明言したことによって、「北総市」は過去の幻の市の名称となった。

意義

この合併が白紙化された背景には、白井市が印旛地域の中で最も都心に近いこと(都心より25km程度)、東葛地域や東京都と結びつきが深いことがある。白井市での住民投票により、印旛郡地域での合併を求める古くからの住民と、より東京に近い鎌ケ谷市などとの合併を求めるいわゆる「千葉都民」との考え方の違いが明らかとなった。

関連記事