ジョイフル本田2階に超隣接する謎のトイレ

Q ジョイフル本田にトイレが隣り合っている場所があります。なぜなのでしょう。


赤枠内です。

A 店舗側が早く閉店するので構造上2セット作られたようです。

ジョイフル本田千葉ニュータウン2階にトイレが超隣接してる場所があります。どうでもいいことなんですが、妙に気になっちゃいました。

で、ツイッターで情報を求めたとこと以下の情報をいただきました。

RT @city_inzai: あれです。飲食店は、21時までやってるので、営業終了しているジョイフル本田に入らなせないためらしいです。 #cnti6:50 PM Nov 30th, 201

なるほど店舗側とフードコートの営業時間が異なるので2セット作ったそうです。駐車場から階段を上がるとフードコートに直結するので、人の流れをコントロールするためにこのような構造になったのでしょうか。

しかしこんなご意見もいただきました。

RT @tom_moff: つまり、ジョイフル本田側のトイレは無くても良いって事ですかね?Tue Nov 30 2010 20:39:18

言われてみると確かに早く閉まるジョイフル側にトイレは不要だと言えます。

私の予想ですが、後から出来たフードコートの利便性を高めるために後付でトイレを増設したのではないでしょうか。

くだらないネタでお食事中の方、失礼しました。

↓なんかトイレマークが4人もいてワイワイ楽しそう(?)

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北国分開発時に出土した土器にイノシシの線刻画を発見

土器にイノシシの線刻画

2011.2.8 21:23

千葉県市川市は8日、同市堀之内の「権現原(ごんげんばら)貝塚」から出土した縄文土器にイノシシの線刻画が描かれていたことを明らかにした。立体で動物を表現した土器は多いが、線刻画によるものは極めて珍しいという。来月に一般公開される。

土器は26年前に見つかっていたが、線刻は文様の一部と思われていた。一昨年秋、市立市川考古博物館の領塚正浩学芸員(48)が、市史編さんにともなう史料の確認中、改めて線刻に気づき、約1年間かけてイノシシが描かれていることを確認した。

土器は縄文時代中期の「加曾利(かそり)EIV式」で、欠けている上部を除いて高さ約30・7センチ、直径約27センチ。細い棒で描いたとみられる線刻画は外側中央部分にあった。眼球のない目元と鼻、C字型の牙、体毛らしいものが確認でき、イノシシの顔が正面から抽象的に描かれている。

権現原貝塚は、約2万年前(旧石器時代)~約500年前(戦国時代)の、住居跡を中心とした複合遺跡。北総鉄道北国分駅前開発に伴い、昭和60年に市教委などが発掘調査を行った。土器は縄文時代中・後期(約4千~3800年前)の16号住居跡で見つかった。竪穴式住居の入り口の下に埋められていたことから、宗教的意味を持つ「埋甕(うめがめ)」とみられるという。

原始絵画を研究する設楽博己・東京大学大学院教授は「縄文土器の取っ手などにイノシシが立体的に表現されることはあるが、線刻画は全国的にも珍しい」とコメント。領塚学芸員は「イノシシは多産と豊饒の象徴として描かれたのではないか。土器内部の炭化した内容物も調べたい」と話している。

一般公開は考古博物館に隣接する市川歴史博物館(堀之内)で3月5日~5月29日(月曜と3月22日休み)。入場無料。問い合わせは考古博物館(電)047・373・2202。

引用元: 土器にイノシシの線刻画 – MSN産経ニュース.

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印旛沼事件 赤軍内ゲバ主犯 永田死刑囚が病死

永田死刑囚が病死=元連合赤軍の最高幹部-脳腫瘍で寝たきり・東京拘置所

1971年から72年に起きた一連の連合赤軍事件のうち、山岳アジトで仲間を次々と殺害したなどとして殺人や死体遺棄などの罪に問われ、93年に最高裁で死刑が確定した元連合赤軍最高幹部永田洋子死刑囚(65)が5日午後10時6分、多臓器不全のため東京拘置所で死亡した。法務省が6日、発表した。
永田死刑囚は脳腫瘍と診断され、脳萎縮と誤嚥(ごえん)性肺炎の治療中だった。弁護士によると、寝たきりの状態だったという。
確定判決によると、永田死刑囚は71年8月、元連合赤軍幹部の坂口弘死刑囚(64)らと共謀し、組織を離脱した2人を絞殺して、千葉県・印旛沼付近の山林に遺棄(印旛沼殺人事件)。同年12月から翌年2月にかけては、群馬県・榛名山などの山岳アジトで「総括」と称し、仲間を暴行して11人を殺害、1人を死亡させ、遺体を山中に埋める(山岳ベース大量リンチ殺人事件)などした。
連合赤軍は71年、過激な武装革命路線を掲げた共産主義者同盟赤軍派と京浜安保共闘が統合して結成。山岳ベース事件やあさま山荘銃撃事件を起こし、一連の事件でメンバー14人と警官2人、民間人1人が犠牲となった。
永田死刑囚は、あさま山荘事件が起こる前の72年2月に逮捕された。
一審東京地裁は82年6月、「共産主義社会の実現を、憲法の許さない銃と爆弾で貫徹しようとした独善的、反社会的な犯行」として死刑を言い渡し、二審東京高裁は86年9月に控訴を棄却。93年に最高裁で確定した。
2001年7月には再審を申し立てたが、東京地裁が06年11月、棄却を決定。永田死刑囚が東京高裁に即時抗告していた。(2011/02/06-07:14)

印旛沼事件とは


引用元: 時事ドットコム:永田死刑囚が病死=元連合赤軍の最高幹部-脳腫瘍で寝たきり・東京拘置所.

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